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かえりみちfamily
小学校の制服は、冬でもかなり短い半ズボンだった。11月の下校時刻は、もうずいぶん冷えている。むかいのホームでは、友人たちが賑やかになにか話している。貨物列車がとおるたびに、反響する笑い声をかき消してくれた。ひざうえの鳥肌をなでる。西側へ帰る子は少なかった。
電車が進むほどに、乗客がまばらになる。最寄りの古い駅舎で、やけに広い構内をジグザグにあるく。靴音がひびく。電車通学の子どもを迎えにきたであろう親が、改札前にならんでいるのが目にはいった。ほかには、ほとんど人はいない。ドーナツ屋の店先で、ガラスにランドセルを背負った制服姿がうつった。むこう側では、親子が小さなドーナツをほおばっている。
いつもの停留所でバスを降りる。顔なじみのいない住宅街を、歩道の端によって歩く。車なんて、めったに通らない。ランドセルのなかで筆箱がなんども跳ねて、煩わしい音をたてている。新しくみつけたコンクリートの模様に名前をつけた。
鍵をまわす。リビングに電気をつけた。
母が帰るまで、今日もまだ3時間ある。
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おなじままちがうfamily
もう9時だ。息子はせまる時間を気にかける素振りをみせない。もう10分もかけて、連れ出すおもちゃを選んでいる。「この電車を玄関まで走らせてみようか」と精一杯に明るく誘いだしてみる。反応がないので、今日は別の手を考えるしかないらしい。通園時間では、2曲目の童謡も歌いきれない。どれでもおなじでしょ、と頭をよぎる。
妻から「洗濯物を3回に分けてほしい」と言われたときも、似たことを思った。かるい衣服、汚れやすい衣服、新生児の衣服、とそれぞれ分けたいらしい。理由を聞こうとして、やめる。質問というより文句だった。顔には出たかもしれない。
ひとりでは1度ですんだ洗濯が、同棲して2度になり、息子を抱きしめてから3度になった。僕には見分けがつかないものが、ますます暮らしのなかに増えていく。ぜんぶに納得してはいない。それでも、困りながら口元はすこしゆるむ。妻にも、そんな顔をされた覚えがある。むこうもおなじかもしれない。
3度目の洗濯ものをまわしてから、息子のとなりにすわった。「どれがいいかな」と、今度はいっしょに迷う。
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思い出になるbusiness
半年で15キロやせた。かなりの覚悟をしていた。そうやって、たいてい大げさにはじめた。しっかり道具をそろえて挑み、日々こまかに進捗を記録する。なのに5年ほどで、体型はずいぶん戻ってしまった。
妙なことに、日記はもう10年ほど書いている。きっかけは思い出せない。革手帳やそのへんのノート、アプリ、Github。なんども書く場所を変えて、そのたびに昔の日記には目を通さなくなった。2行で済ませることも、一昨日のことを書く日もある。習慣というには、あまり格好がつかない。
こんなありさまでも続けていると、なにをしても頭の隅では言葉をさがすようになった。嬉しさも戸惑いも「どういうことだろう」とほじってみる。手帳がなくても、曖昧なままではおけなくなった。
あんなに覚悟してはじめた減量は、達成した思い出になった。不格好につづけている日記は、手帳の束ではなく、言葉にしようとする性分になった。じぶんを変えていたのは、惰性のほうだった。
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こちらの物語family
小学生のころ、「はじめてのおつかい」の面白さがわからなかった。おとなになって、よその子のおつかいで涙がでる。「歳をとると涙もろくなる」は本当だった。
ところが甲子園では、どうも心が動かない。なんでも共感できるようになったわけじゃないらしい。
そりゃそうか。「はじめてのおつかい」で心が揺れるようになったのだって、長男が生まれてからだ。甲子園とはあまりに接点がない。せめて運動に打ち込んだ経験でもあれば、ずいぶん違っただろう。あるいは駅伝を夢中で応援したことがあれば、「あのときの気持ちだ」と掘りおこせる感情がみつかったかもしれない。
じぶんに物語があると、誰かの話にも手を伸ばしやすくなる。反対に、距離が遠すぎる話には「すごいね」よりも先が続かない。共感どころか、その先を知りたくなるキッカケまで見逃してしまう。
10年後はどうだろう。これから何を好きになって、悔しがって、誰を応援するかで、身をのりだして聞きたくなる話はもっと増えていく。
明日はもっと、目を輝かせて話をききたい。
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その皿の作者technology
夕飯に加えようと買ってきたポテトサラダをみて、妻がベーコンをカリカリに焼いてのせてくれた。
「ちょっといいでしょ」と満足げだ。味見してから、粉チーズまで足してくれた。よく思いつくなと感心しながら、わざわざフライパンを出したことにもおどろく。もう立派なひとさらだ。
きっと、そのままでも美味しい。レトルトもお惣菜も出来がよいものが多い。皿へうつすだけで、ひと役買った気分になる。それでも妻は、食卓へ運ぶまえに立ち止まった。このままがよいか、なにかできる余地があるか。今回は手を加えることにした。
誰かのこしらえたものを頼れば、手間が省けるし、ひとりでは届かない料理が食卓にならぶ。それでも、いちど献立に加えたら、もうじぶんの料理だ。皿へうつしただけのお惣菜だって、変わらない。じぶんの舌で納得できたら、それで「よし、できた」だ。
食卓にならべた皿には、もうじぶんの名前がついている。
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これからよろしくfamily
次男が生まれた。長男のときよりも少し大きい。久しぶりに抱き上げた新生児は、ふわふわと軽い身体から、ずっしり心に染みわたる温かさがあった。
親戚や友人に、家族がふえた嬉しさを伝えようとして、一瞬ことばに詰まる。「すごく嬉しい」。それ以上が続かなかった。ぼくには幸福な語彙があまり多くないらしい。
上手くいかないことには、ずいぶん言葉をつかってきた。画面をまっくろにする難しい熟語をならべて、カタカナもたくさん覚えた。どうにかして苦しいものに名前をつけると、いくらか扱いやすくなった。
そのくせ、楽しいことは雑だ。だって、笑って騒いでいたら、それで済んだ。「楽しい」と「嬉しい」を区別する必要すらなかった。どちらも、そのままで困らなかった。
もうすこしだけ考えて、次男を抱いた気持ちを言葉にした。
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誰も言ってないtechnology
とても便利な調理器具が登場した。
材料を放りこんで、ボタンを押したら、もう完成。レシピも火加減調整もいらない。我が家でも大活躍だ。
ところが「料理人もレストランも終わったな」とまで言われると、胸がざわつく。献立も下味だって、まだある。むしろ、便利になった分だけ、熟練者はもう一段先へいく。これまで手が回らなかったことまで、どんどん洗練させて差がつく。裾野が広がれば、頂上までの距離は遠くなる。
頼まれてもいないのに、ムキになって指摘したくなる。いやいや、それは違う、と袖をひく。ほんとうなら、目くじらを立てる話でもない。台所に立つひとが増えたら、美味しい料理もたくさん生まれる。言葉をなげた本人だって、週末には行きつけの店に足を運ぶだろう。
それでも聞き流せていない。そのうち、じぶんの番がくる。まだ投げられていない言葉に、先回りして拳をかまえている。
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鳴るより前にbusiness
「お世話になっております」
また営業電話だ。第一声を聞くより先にあった嫌な予感があたる。失礼にならないように注意して電話を切ってから、小さく溜め息をこぼす。
直後、またスマホが鳴る。来週飲みにいく友人からだ。電話がくるのは珍しい。口元を緩ませてスイッチをおす。会話には、話しはじめる前から香りがあるらしい。親しくても、良い香りがする電話ばかりじゃない。ぼくが誰かに電話したときにも、こんなふうに笑ってもらえるだろうか。
直前まで、別の仕事に手をつけていたかも。ちょうど洗い物をはじめたところかもしれない。そこに突然、僕からの用事があらわれる。いや、考えてみれば、彼からの電話も突然だった。ただ、心当たりがあった。
香りは、昨日のLINEからしていた。
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まるいドアノブfamily
「年をとると変われなくなるぞ」と、脅されている人がいた。
いまのうちに変わっておけ、ということらしい。「削らないほうがいい角もあるのに」と横目におもう。べき論を追いかけて、角をひとつずつ削っていけば、仕上がるのは量産品だ。それは勿体ない。まして、相手が感謝してくれるわけもない。
だいたい、変わらないほうが自然だ。使えるものが増えて、手応えもおぼえる。この先また何かあっても、まあなんとか凌げるだろう。そうして、焦燥感は落ち着いてくる。頑固になったとか、誰も注意してくれないとか、ではない。変わらずにやっていけるほど蓄えてきたのだ。もう、ちゃんと居場所がある。変わりつづけるのは、べつに偉くも正しくもない。
ワックスで髪を整えはじめた頃の戸惑いを覚えている。イケてる髪型がなにかも曖昧なまま、学校へ通った。はじめての接客で「わたし」と口にしたとき、自分らしさを置いてきた不安にかられた。そうした試みは、たいてい恥ずかしさを残した。
わざわざ変わり続けることを望むなら、あの頃のように、戸惑いながら玄関をでるしかない。
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役割をなくした喧嘩family
図星というのは、まとの中心にある黒い円のことらしい。
うっすら気にかけていたことを突かれると、たいていイラっとする。「いまやろうとしたのに」とも似た感情は、子どもの頃からあまり変わっていない。ただ、口にしなくなっただけだ。上手くいけば「あぁ、ごめん」まで言える。誰だって、それなりにはおとなになるのだ。
ザラッとした感覚の出どころが、いつもわかるとは限らない。
腹が立った理由もわからないまま喧嘩になる。「いや、そうじゃなくてさ」とは口に出すけど、はたして「どういうこと」かぼくにもわからない。さも建設的に話しているような顔で、的をはずした主張をならべる。
ようやく頭にのぼった血が下りてきた頃、どうやら図星だったのだと気がつく。今度は「せめて言い方を気をつけてほしい」などと言い出す。バツが悪い。すでに役割を終えている喧嘩を、わざわざ続ける。
黙って見過ごすこともできた相手に、ぼくの感情のはけ口まで引き受けさせる。まったく、寄りかかってばかりだ。
そんな喧嘩を昨日もした気がする。
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主人公の条件business
動機が気になってたまらない。
なぜ会社を辞めたのか。その趣味をもう8年も続けているのは、どうしてか。本人が語ってくれる理由より、もう少し奥にあるものが気になる。言葉や行動になるよりずっと前から、そのひとの中に積もっていたもの。欲なり、傷なり、憧れなり、いちばん濃いところを勝手に探る。
深ぼっていくうちに、当初の説明からずいぶん離れていく。本人だって、案外よくわかっていない。そこから先は、ほとんど推測になる。それでも僕は、言葉の端をひろって、行間に意味をつけて、ときに妄想を重ねながら「こういうことだろう」と訳知り顔をしている。
ところが、じぶんのことは途端にわからない。些細なキッカケが重なって、気がつけばここにいる。それだけかもしれない。どうやら僕は、そこに立派な理由をこしらえようとしている。
なにかに強く駆りたてられた主人公になれる話を、探しているのかもしれない。
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さっきの気持ちはfamily
「君が言ったのに」と、息子にため息をつく。
Aが食べたい、というので用意したら、Bがよかった。Bを用意し直せば、Aでなきゃ嫌だ。瞬間湯沸かし器になる息子へ、僕はつい感情的に反応してしまうことがある。
息子は、ようやく短い言葉をつなげ始めたばかり。落ち着いて話し合おうにも、彼が向き合えないタイミングもあった。じぶんの余裕次第で彼への反応が変わってしまうことに、罪悪感を抱いた。
あるとき、これが息子との席だけではないと気がついた。ネガティブな反応を示した相手へ怪訝な顔をしたり、嫌なところを突かれてムッとしたり。声を荒げたり腕力に訴えることがなくても、冷静でないのは明らかだった。
この問題は、いまのところ、「ありがとう」と「ごめんなさい」を伝えられたら良いことにしている。すぐに心を整えるのはまだ難しかった。だから、一段落したら感謝から伝えることにした。
あなたに感謝してること。なのに、ちょっとしたことで感情的になって申し訳ないこと。さっき、どんな気持ちだったか教えてほしいこと。
つぎのため息のあとには、もっと仲良くなりたい。
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賑やかな正月family
小学校高学年になる頃には、親戚付き合いがほとんどなくなっていた。よほどの理由もなく。ただ気がついたら、正月でも親戚と行き来することが減っていた。
当時は「そんなものだろう」と思っていたし、気に留めていたのはお年玉袋の数が減ったことくらいだった。じぶんのペースで静かに過ごせることは、都合がいいとすら感じていた。
そんなふうに捉える背景には、ひと目を気にしたり、口達者でないことが影響したかもしれない。とにかく、人前であまり上手く振る舞えないと感じていた。笑い合う相手が少ないことよりも、じぶんの不甲斐なさを目の当たりにすることを嫌った。定番のエピソードトークか太鼓持ちが、どうにか場持ちさせる術だった。
結婚して、親戚付き合いが再開した。妻の親戚はみんな個性的だった。それぞれが尊重されて、ぶつかってもまた受容し合っていた。振る舞いを間違えても、ながく気に留めるひとはいなかった。取り繕う必要なんて、少しもなかった。
面倒まで共有しあえる賑やかさが、心地よかった。
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隣に座れたらfamily
まわりが笑っていたら、じぶんはそこに入らなくてよかった。
ほかの子たちと騒ぐより、彼らが遊ぶのを眺めているほうがワクワクした。おとなを観察するのは特に好きだった。どんな秘密を話しているのか、興味がない素振りでいつも耳を澄ましていた。
もうすぐ小学生になる頃、じぶんが滑稽なことに気がつく。すこし離れてニコニコしているだけの僕は、友達やおとなを不安にさせていると感じた。遊びのつもりで、みんなの真似をしてみる。おとな達がこぞって褒めてくれるので、面白くてしばらく続けていた。
小3にもなると、真似ばかりで周囲からの安心をまかなうのは難しくなっていた。ありもしない「じぶんらしさ」を探すたびに、誰かとぶつかる。僕は、むかしは素直だった子になった。
おとなになって、僕もわかったような顔で人を論じてしまう。
あの賞賛をなげたとき、相手の戸惑いに気がつけなかった。失望したあとで、かけた期待が相手の希望から離れていることへは、思い及ばなかった。
隣に座って「これも楽しいね」と言ってほしかっただけの子どもが、離れたところで勝手な解釈に浸るおとなになっていた。
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これでいく仕事business
「これで上手くいかせようと腹をくくれてる?」と言われて、返事に詰まった。
20代半ば、任された仕事を上司にみせるたびに、どこか直された。知識も経験も差がある。そうして少しずつ判断できるようにするものと思っていた。自分が「これでいく」と決めるなんて発想はなかった。
翌年、6名のチームを任せてもらった。背景も目的も話した。それでも、でてきた提案はどこかピントが合わない。相談の回数を増やしてみても、あまり変わらなかった。
あるとき「成果が出るかは、尚平さんが判断すると思っていました」と返ってきた。あの日の上司の顔が浮かぶ。
彼女が「これでいく」と決めたなら、外れてもいい。限られた期間でたくさん試してもらおう。そう伝えた、つもりのままだった。
ものさしだけが、まだ、ぼくの手の中に残っていた。